山野・史跡探訪

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zoom RSS 夏季連休・2016(和尚山、陣の山舘跡、龍ヶ沢湧水、磐椅神社)

<<   作成日時 : 2016/08/28 01:57   >>

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年月日: 2016年8月13日(土)〜18日(木)

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2016年8月13日(土)

我が社の夏の連休期間(13日〜)の天気予報が冴えず、天気が良いのは14日まで。降雨不足で渇水が続きアユ釣りできないし、暑い時期にパンツぐちょぐちょにしてまで藪や人の多い登山道を歩く気にはなれん。12日の夜、酒飲んでクテッと寝てしまい、朝の3時半に目を覚ました時点ではまだ何も計画が決まっていなかった。ウィークリーコースでレンタカーを予約してあり、朝9時にはレンタカーを借りに行かなければならない。最近雪田爺様が行かれた鳥海山以外に関心が湧かなかったもので、急いで鳥海山の地形図をコピーして荷造りして出発。

朝9時過ぎにさいたま市出発。利根川渡って埼玉県を脱出するまで2時間半を要した。西那須野の国道4号線の渋滞を避けるべく、勝手知ったる栃木県北部の田舎道を走って国道294号線を利用。眠気を催したので芦野の御殿山の駐車場で1時間ほど仮眠してから運転再開。猪苗代湖を右回りして国道49号に抜けた。会津は無風状態で布引山も背炙山も風力発電の風車が完全に停止。塩川経由で喜多方に抜けて日中トンネル経由で山形県入り。アユ釣り目的の場合は越後荒川沿いに新潟入りするのであるが、夜間は山形県の自動車専用道路を利用した方が早かろうと考えて米沢経由で新庄に北上。新庄から最上川沿いに庄内平野に入った。初めて最上川中流域に近づいたのに、夜間で景色が一切見えなかったのが残念。車中泊予定地の西浜海水浴場到着まで12時間を要した。つまり、13日は終日運転して終わり。


お盆で帰省客が多いためなのか、それともキャンプする海水浴客が多いためなのか、あぽん西浜は夜遅くまで賑やかであった。夜9時過ぎても徒歩で入浴に来る客が多いのに驚く。空は満天の星。やや寝苦しかったもののスズムシやエンマコオロギ等の虫の音を聴きながら十分睡眠をとることができた。


2016年8月14日(日)

ほぼ快晴。目的地がはっきり見えているし、経験済みの場所だから地図はいらん。海岸沿いの丘陵を抜けて遊佐町の田園地帯を適当に進んで月光川に接近し、一ノ滝駐車場に向かう道に入った。

一ノ滝駐車場到着。登山者の車が一台置かれているのみ。静かな山歩きができそうだ。

狭霧橋を渡って二ノ滝コースに入り、千畳ヶ原経由で吹浦口分岐から長坂道を下って周回。夏風邪等でほぼひと月運動できずに体がなまっていたのと、暑さによる過度の発汗でヘロヘロ。

あぽん西浜で\400ですっきり。お気に入りの最中アイスを食べたいのだが、サンクスでは売っていない。酒田市を抜けてから村上市の三面川を渡るまでの間、国道7号東側にはファミリーマートの店舗が無い。村上市街地に入りようやくファミリーマートを見つけた。大阪屋でお土産を購入し、JUSCO のコインランドリで汗ぐちょぐちょの衣服の洗濯を済ませてから関川に移動し、越後荒川の静かな土手で車中泊。


2016年8月15日(月)

本日から天候が冴えない予報。宿泊地は晴れているが風が強い。新潟にはアユ釣り以外関心事が無いので、天気が好いうちに福島に移動することにする。国道113号線を通るのは4度目だが、越後荒川沿いの地形の険しさにいつも驚かされる。トンネル抜けてすぐにダム湖側に左折する狭い道が山形県側の飯豊山登山口への分岐であることを初めて認識。赤芝発電所を建設したが故に危険な道路構造になったようだ。危険な臭いのする場所は通らない主義。将来、玉川流域を訪問することがあるとすれば、平和橋経由で山越えするだろうな。

飯豊トンネルを通って飯豊町から喜多方市に抜けるべく、平和橋で県道8号に進入。リオデジャネイロオリンピックの女子卓球準決勝・日本対ドイツの試合を実況中継していた。電波の入り具合の良い場所で停止して試合の様子を確認しながら進行。九才峠を越える頃に伊東美誠の試合が大詰め。最終セットに大逆転負け。幸先悪いわ。

飯豊町葡萄沢沿いの林道はまっすぐゆったりと高度を上げていくため快適に走れる。飯豊トンネルは駐車スペースがほとんど無いのであるが、飯豊町側に一台車があった。県境にはどんよりと分厚い雲がかかっている。

喜多方市側は急斜面をくねくねと下る道。石川佳澄が勝ったのを確認して気分よく南下。会津では雨がぱらついていた。藤沢から喜多方に抜ける国道459号線はあまり良い道ではなかったと記憶している。反対の山都駅方面に向かった。アユ囮の幟があった。一ツ戸川でもアユ釣りできるのか。阿賀野川流域はダムだらけで天然アユが遡上できないためアユ釣り場として語られることはないのだが、実態はどうなんだろうな。

県道16号を喜多方市方面に進むと左手に史跡案内板が見えたので寄り道。和尚山の伝説が語られている。

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和尚山に向かう道は先に農地があるらしく一般車は進入禁止。手前の駐車スペースで第三試合のダブルスの途中まで聴いてから出発。

坂道を上がると高台に農地が広がり、その先にこんもりとした和尚山が見える。公園なので何か在るのだろうと期待。一ノ戸川に架かる磐越西線の鉄橋を見下ろしながら農地の縁に設けられた狭い踏み跡を辿る。

和尚山
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訪れる人はごく少ないようだ。標高250m辺りの和尚山山腹に用水が通っている。どこからこの高台に水を引いているのだろう。高度を比較する限りでは取水箇所は5q程度北にあることになる。

クモの糸を払いながら南側から山頂に到着。たかだか70mの登りでも蒸し暑くて汗が噴き出る。山頂には鎮魂の碑が建つのみで、眺望は冴えない。

和尚山山頂
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案内板には遊歩道が巡らされているような図が描かれていたが、山頂から反対側に下りるような道の存在には気づかなかった。辿ってきた道を往復するのみ。わざわざ遠くから訪れる価値はないな。

車に戻ってきたときには第三試合のダブルスが負けていた。アララ。ちょうど雨がザーザー降ってきたので、駐車地で試合中継を聴いて暇つぶし。第四試合で石川佳澄がスカッと勝利したものの、愛ちゃんの第五試合はエッジボールであっけない幕切れ。面白くない。

このすぐ近くに阿賀川がかつて大きく蛇行していた跡が2か所ある。地形図では袋原の蛇行は開削により短絡されたように見える。泡の巻の蛇行は自然に短絡されたのか判断がつかない。先日この地形に興味を抱いて訪ねてみたいと思っていたのだが、せっかく近くまで来ていながら素通りしてしまった。後日調べてみたところ、蛇行の短絡はいずれも昭和時代に入ってから行われた捷水路工事によるものであった。その概要は国土交通省 北陸地方整備局の資料『阿賀野川水系河川整備計画【国管理区間】(案)』を参照されたし。第3章 阿賀野川の現状と課題 (2)狭窄部の捷水路工事と改修工事の項に記載されている。

同資料で初めて知った事実をもうひとつ。天和3年(1683年)の大地震で葛老山(戸板山)が崩れ落ち男鹿川を堰き止めて古五十里湖が出現したことは良く知られているが、会津盆地でも慶長16 年(1611)の大地震による山崩れで阿賀川が堰き止められ山崎新湖なる湖が出現したことがあったそうだ。次回は阿賀野川流域の歴史をもっと学んでから訪問することにしたい。

雨が上がって少し明るくなると急激に蒸し暑くなった。標高の低い会津盆地を早めに脱出すべく東に向かう。お盆だから裏磐梯は渋滞するであろう。熊倉から雄国の山腹を巻く県道337号で赤枝に至り、県道7号には抜けずに赤枝集落から田園地帯を東進。しばらく丘陵の縁に沿って未舗装道を走って広めの舗装道路に抜けたところでまたまた史跡の案内板を見つけた。ほう。こんなところに伊達正宗縁の史跡があるとは。寄らぬわけにはいきませんな。ちなみに地形図に史跡の記載はない。

陣の山舘跡
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丘陵南東の道沿いに畑があるのみでその他は雑木藪。最も高い場所に送電線鉄塔が建つのみ。当時も会津盆地北側の様子を眺めることはできたと思うが、会津入りするには遠回りとなるこの場所に如何なる理由で陣取ったものか。いざとなったら米沢に逃げ帰る選択肢を確保するためであったのかもしれない。

次に龍ヶ沢湧水まで水を汲みに往復。歩道入口に『クマ注意』と表示されている。この水は慧日寺資料館まで導水されているので、わざわざ水汲みに湧水まで詣でる人はほとんどいない。

龍ヶ沢湧水
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慧日寺縁の遺跡である戒壇跡にも行ってみたが、ただの草叢である。行く意味は無い。


最後に、実家に行く前磐椅神社(いわはしじんじゃ)に立ち寄り。伊佐須見神社を調べていてその存在を知った。昔は伊佐須見神社よりも高い格式を与えられていた神社だという(現代では社格制度は存在しない。)。磐椅神社とはなんと猪苗代町にあるという。土津神社の間違いじゃないのか?猪苗代町で生まれ育ったのにまったく知らなかったなんて恥ずかしい限りだ。

事前に調べた情報では、どうやらアクセスが不便であるようなのだ。磐梯山麓には長瀬川から導水する土田堰が流れており、磐梯山麓の主だった史跡のほとんどは土田堰に沿って分布している。つまりほとんどの史跡がどういう訳かほぼ同じ標高に位置している。磐椅神社もその一つ。土津神社の東側入り口の反対側にある、土田堰左岸側(堰下側)沿いの退避点の少ない未舗装道がアクセス手段である。今回は事情を知らずに車で入り込んでしまったが、土津神社の駐車場に車を置いて歩いていくのが常識らしい。

アクセスが不便であるが故、静かで落ち着いた雰囲気。

磐椅神社
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???
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えんむすび桜
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五円玉がたくさんぶら下がってます。

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神社の前の道を下っていくと、なんと墓地で行き止まり。しかたなく恐々来た道を引き返す。

実家に立ち寄ってから独り墓参りを済ませ、母の実家の仏壇に線香上げに行って一応盆の務めは果たせた。

その夜の話。今年も実家の前の畑のトウモロコシがクマに全部食べられてしまったとのこと。これで3年連続。人に危害が及んだことはないし、どの家も被害に慣れてしまって大して話題にならなかったらしい。被害に遭ってから判ったことだが隣の家でもその前日に被害に遭っていたそうだ。

これまでその姿を一度たりとも目撃されてはいないのだが、畑にくっきり残る足跡と山のような糞がその証拠。山から離れた平地で広範囲に民家前の畑が荒らされるのは何故なのか。長瀬川の両岸で被害が出ているから長瀬川に潜んでいるのであろうという憶測はあった。確かに長瀬川の右岸側に広い藪があって潜むことは可能だ。今年は山際に延々と電気柵が巡らされて山からクマが下りてくるはずはないから、長瀬川のどこかに穴を掘って冬を越していることになる。だが、毎晩どうやって左岸側に遠征してくるのかが謎だった。毎度深みのある長瀬川を泳いで渡るとは考えにくい。橋を渡れば一度くらいは人に目撃されているはず。

その忍者のようなクマが西舘集落で仕掛けた罠にかかってついに御用になったというのだ。捕えられた場所は西館集落の南側の畑だという。へへへ。俺が毎年のように栗拾いに行っていた藪の傍ではないか。これで謎が解けた。奴は磐越西線の鉄橋を利用して川桁地区に遠征していたようだ。自分も子供の頃何度も通ったことがある。深夜は列車が走らないし車と遭遇する可能性もない。頭の良い奴だ。捕えられた日について正確な情報はないが、実家の畑を荒らした帰りに捕まった可能性がある。捕獲されて以降、被害は全くでていないとのこと。


2016年8月16日(火)

雲は多いが予報より天気がよくて暑い。

川桁山にチタケを探しに行った。リステル猪苗代の天狗の森には『クマに注意』と表示されて電気柵が張ってあり、新道に上がる道には入れない。今年は死亡事故こそ起きてはいないが、若宮地区で演習の下見に訪れた陸上自衛隊の2名がクマに噛まれる事件があって、猪苗代もすっかりクマで有名になってしまった。これまで電気柵無しでもクマ騒動なんて無かったのだからやることが過剰と思う。クマが増えているのなら駆除するのが本来の対策。それができないのだから猪苗代町の住民の高齢化が深刻である。

電気柵は3段で大人であれば容易に跨げる高さだ。新道に上がる道を最近誰かが歩いた様子はなく茨藪になっている。この調子では廃道化確実ですな。川桁山山頂から新道方面に下山したら大いに戸惑うのではないか。それとも新道の分岐に何らかの表示があるのだろうか。

尾根上まで上がってしまえば藪は一切ない。例年なら道沿いにチタケを多数見るのだが、今年は暑くて既にチタケの時期は過ぎてしまったらしい。それでも出汁をとるのに十分な量は確保した。

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帰りは藪化した天狗の森を忌避して、尾根反対側の水源地に下ってみた。こちらも歩いた人がいるようには見えない。それもそのはず。水源地からリステルスキー場の最上部に抜けるまで、谷底の道は丈の高いイラクサ、イノコズチ、ヨモギ、キンミズヒキなどの草薮になって道が消えていた。近い将来、川桁山は残雪期限定の山になるかもしれない。

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2016年8月17日(水)

雨。オリンピックの試合を見ただけ。


2016年8月18日(木)

下郷町から国道289号で白河に抜け、国道294号で烏山に南下。10年振りに那珂川左岸の道を走って茂木入り。広い平坦地に集落を作って生活するのが当たり前の雪国では、町中心部から離れた山腹にへばりつくようにポツポツと民家が点在するなんてありえない。大きく開けた場所がないので視界に入る空間が狭く圧迫感がある。住めば都なんだろうけどね。大瀬の北側にある尾根道は延々と桜が植えられていて、春の景色は見事なものであろう。

大瀬から294号に復帰する際に確かめたいものがあった。

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源義経や弘法大師の伝説は至る所に存在するが、よもやこんな場所で道鏡の伝説が存在するとは思わなかった。かつて寺があったような山には見えないし、奈良時代にこんな場所に寺があったとは考えにくい。どんな場所なのか確かめてみたかったが、雨で草叢が濡れているので入り込まなかった。


下妻から適当に走って国道4号に抜け、順調に帰着。







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